| 21:00 偉人・敗北からの教訓 第99回「藤堂高虎・豊臣兄弟が導いた運命」 黒田官兵衛、加藤清正と共に「三大築城名人」と謳われる藤堂高虎の敗北から現代に通じる教訓を探る。1556年、近江国の土豪の子として生まれ、幼い頃から体格に恵まれていた高虎は、若くして北近江の大名・浅井長政に仕え、姉川の戦いで初陣を飾るが、17歳の時に同僚を殺害し、浅井家を出奔。その後、わずか3年の間に主君を3人も替えるが、21歳の時、5人目の主君・羽柴秀長に出会ったことで運命が一変する。
秀長のもとで戦術や築城術、交渉術など、様々な能力を磨いた高虎は、数々の合戦で武功を挙げ、秀長の兄・豊臣秀吉の天下統一事業を支える。その後、朝鮮出兵でも活躍するが、一途に仕えてきた主君・秀長の死後、家督を継いだ若き主君・豊臣秀保をわずか4年で失い、主家を失ってしまう。その時、同僚の大半が秀吉の直臣となる中、高虎は高野山に上り、出家してしまった。高虎はなぜ、自ら武士の身分を捨てたのか?
その後、高虎は秀吉の強い要望を受け、還俗。秀吉没後は家康に従い、関ヶ原の戦いでは西軍諸将を調略するなど、東軍の勝利に貢献する。津城や江戸城など、様々な築城にも力を尽くした高虎は、最終的に32万石もの所領を得た。初代津藩主として城下町を整備し、津の礎を築いた高虎は高山神社に祀られている。一度は出家したものの、大大名へと躍進し、三代将軍・家光の代まで徳川将軍家に忠義を尽くした、藤堂高虎の魅力とは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。 伊東潤(歴史作家)中西悠理(フリーアナウンサー)【ナレーター】槇大輔 BS11公式WEBサイトでは、みなさまからのメッセージを受け付け、公開しております。番組への率直なご意見やご感想など、どしどしお寄せください。お待ちしております!https://www.bs11.jp/entertainment/ijin-haiboku-kyoukun/
 
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